7期生・石黒さんより(11)

先月の記事の終わりに、7月は記事をお休みするかもしれないとありましたが、なんと今月も記事を書いてくださいました。海外生活50年だなんて、私には考えられません。どんな思い出過ごされてきたのでしょうか。


海外生活50年にして思う事

1975年の8月の夜、羽田からパンアメリカン航空の飛行機でカナダに向かうために、ハワイ経由でアメリカのロスアンジェルスに向かい飛び立ってからもう50年近くの歳月が流れ去りました。あの時の気持ちは少しの不安、期待、これから起こりうる色々なことへの挑戦の気持ちもあったと思います。移住ビザを持っていたので、飛行機の切符は片道切符、少額の現金とバックパックを背中に担いでアメリカにやって来ました。ハワイの空港で降りて税関の検査をする前に窓越しに見えた、ダイヤモンドヘッドの姿がいまだに忘れられません。私が日本を出た当時は大阪万博が数年前に終わり、これから日本が経済的に飛躍する前だったと思います。私の多くの阪南のクラスメートの人達は大学を卒業して、色々な会社で新入社員としてこれからの仕事に燃えておられた時だったと思います。

その頃日本円と米ドルの為替レートは一米ドル300円ぐらいだったと思います。私がその3年前にヨーロッパに向った時のレートは1ドル360円でした。この為替レートは日本の経済が発展するにつれ円高ドル安になっていき、バブルのころ、1990年代と思うのですが、1米ドルが94円ぐらいまで円高になったと思います。このころが日本経済絶好調の時でした。巷では日本式のマネージメントが最高の方式で世界の企業はこの方式を見習うべきだとか、日本の不動産会社がアメリカニューヨークのロックフェラーセンターのビルを買収するとか、とにかく日本が最高だとかこちらではよくテレビなどで言われていた時代でした。日本円に関しては2011年から2012年にかけて80円まで円高になりました。2023年7月3日現在のレートでは144円です。ここ十数年の間に円の価値がほぼ半分近くまで下がったことになります。円安が起こると日本の物価に大きな影響を与えます。日本ではほぼすべての原材料を海外から輸入していますので、円安になるともろに日本の物価に跳ね上がります。円安になると私みたいに海外に住んでいる人間には朗報になるんですが日本で暮らしておられる人々にとっては、物価の値上がりは生活に響くと思います。

1970年代、80年代はトロントの町を見ても、何処のデパートにも日本製のテレビ、ステレオ、白物家電であふれておりました。今まで主流であったアメリカのGEとかほかのメーカーの製品がデパート、小売店からどんどん姿を消し始めて、町中の電化製品の小売店には日本のメーカーの商品であふれておりました。

1980年代ごろからまた日本の自動車が良く売れるようになってきて、町の中にはトヨタ、日産、ホンダの車があふれるようになってきました。このころアメリカでは日本車たたきが頻繁に起こるようになって、デトロイトで中国人の方が日本人と間違われて、野球のバットで殴り殺される事件までも起きました。日本車メーカーでもアメリカでの摩擦は起こしたくないという考えで、このころからアメリカ、カナダで日本車の組み立て工場を作ってアメリカ人従業員が働けるようにしてアメリカでの日本車製造の雇用を増やして、アメリカ社会に日本のメーカーは寄与しているんだとアピールして、社会的な摩擦を避けようとしていました。
その頃には日本の自動車三大メーカーだけでなくて、他に三菱、スバル、マツダ、鈴木、いすず、とかのメーカーもアメリカで車を売るようになり、北米での小型、中型での日本車が占める市場シェア―はどんどんと上っていき、これらのカテゴリーでは完全にアメ車を抜いていたと思います。

丁度私がトロントに来てすぐのころ、韓国のヒュンダイ(現代)自動車が三菱のエンジンを載せた小型のポニーと呼ばれる車を北アメリカで発売し始めました。小さな車で、ほんとにちゃちな形の車で、評判は全然良くありませんでした。見た目にもデザインは悪いし、私自身嫌いな車でした。まさにこんな車をよくも売るもんだと我々笑っておりました。今から40数年前の話しです。其の当時はここではサムスン、LG、起亜自動車の名前はありませんでした。それが今ではどうでしょう? ヒュンダイの車は北アメリカではとても良く売れています。デザインもヨーロッパ風のデザインでとても格好のいい車が多いです。それに後発の起亜自動車も最近テレビの宣伝が多く、町の中でも起亜自動車の車をよく見かけるようになりました。価格がアメ車、日本車に比べると少し安いので、移民者の人達に良く売れているように見受けられます。

【トロント北部にある日本のショッピング センターです。
CENTRE のスペルはカナダではイギリス式です。】
 

昔はテレビと言えばほぼすべて日本製のテレビがデパート、町の電気屋さんで売られていました。今はどうでしょう? ほぼすべて韓国のサムスンとLGにとってかわられて、日本メーカーのテレビがお店屋さんの店頭から姿を消しつつあります。携帯電話はどうでしょう?だいぶ前にもここではソニーの携帯電話が買えたと思いますが、今はほぼすべて韓国製の携帯電話かアップルの携帯になっています。今日本のテレビとか、携帯はここでは全滅の状態ではないでしょうか?それに今韓国製のほかに、白物家電では中国のメーカーが北アメリカで販売を強化してきています。そのうち白物家電、テレビなどすべて韓国、中国製の物になると思います。昔は技術のソニーとか言ってカラーテレビ、ウオークマンやビデオレコーダーとか作っていたソニーですが、最近では新しい電化製品でソニーの名前はここでは全然聞かれなくなっています。パナソニック(松下)も同様で一時あれほど人気のあったテレビメーカーのテレビが店頭から姿を消しています。

最近の韓国、中国メーカーの技術的な進歩は目を見張るものがあります。日本勢は一体どうなっているんでしょうかといつも思います。次は自動車でも追いつかれ、追い越されてしまうのでしょうか?数か月前、インターネット新聞で韓国企業の初任給が日本の企業よりも上であるというニュースを聞いたとき、何かの間違いではないかと自分の目を疑いました。少し前まで、世界第2の経済国家であった日本、今では中国に抜かれ3位になりましたが、まさか韓国企業に給与で抜かれるとは想像もしておりませんでした。日本は老人の人口が増え続けています。若い人たちが少なく、増えるのは老人ばかりです。日本の労働生産性は高くはありませんし、今アジアの国々から国際競争力においてどんどん追いつかれ、追い抜かれて行ってしまっています。こういう状態で、将来の日本はいったいどうなるのかと、海外で生活している身でも将来の日本に不安を感じます。こういう結果になっているのは日本人が怠けているからではなくて、多分アジアの国々が経済成長を続けている結果だと思います。日本では経済が過去30年間成長をしていないために、賃金も上がっていません。昔は外国と比較してもいい給料をもらっていたと思いますが、今では外国との給料での開きが大きくなっています。ちなみに私が住んでいるカナダのオンタリオ州では最低賃金が時給で15ドルです。今のレートで言うと時給1545円ぐらいになります。聞くところによると今の日本の全国の平均最低賃金は961円だと言われています。似たような仕事をしてもここ北アメリカでは日本と比べると給料ははるかに多く稼ぐことができます。経済を発展させないと国民の給料が増えません。日本の企業にリスクを恐れず、もっと新しいものを開発、製造することにチャレンジしていただいて、又世界を引っ張っていっていただき、昔の輝きを取り戻していただきたいものです。何もしないのであればこれからだんだんゆっくりと、日本はダメになっていくばかりです。安全、安定ばかりを求めるのではなくて、ある程度のリスクを取らないと、進歩はないと思います。

毎週土曜日は、食料の買い出しにカナダ系のスーパーマーケットに行きますがその後日系の食料品店にも行って、色々日本の食材を買います。私が住んでいるところからそんなに遠くないところに J タウンと呼ばれる日系のお店が5件ぐらい入っている小さなモールがあります。そこでは、日系の食料品店、パン屋、魚屋、寿司屋、肉屋、そしてレストランもあります。毎週行っていますが、お客さんのほとんどが中国系の人達です。やっぱりアジア人同士で、食べるものも似ているのかなと思います。この中国人の人たちが居ないと、これらのお店の経営は成り立たないと思います。これらのお店のおかげで、日本の物はここでほぼすべて手に入ります。最近ではこのモールだけでなくて、一般の中華系のスーパーなんかでも日本の製品を置いているところが増えてきています。

【食料品店です。日系の食材はほぼすべて手に入ります。】

考えてみれば私が最初1972年にドイツのアウグスブルグに行った頃はドイツ系のスーパーではアジア人が使う醤油も売っていませんでした。ユースホステルで一年間住んで自炊をしていたんですが、あまりいいものは食べていなかったと思います。トロントのような大都会だからこそ色々なものが手に入ると思うのですが、カナダの田舎町ではそういう事はできないと思います。日本の食料品も手に入りますし、日本のNHKの番組をもとにした毎日24時間放送のTV JAPAN というテレビの放送もニューヨークから配信されていてここで見れます。朝とかお昼、夜のニュースは生放送で見れます。ですからなにが今日本で起こっているのかは日本国内にいる人と同じ情報を、ライブで見ることができます。そういう事なので、全然ホームシックにはなりません。

【日系の食糧品店の中です。トロントで買えることを思えば、値段は高いとは思いません。
映っている女性は誰だか知りません。】

こちらでは今日本の和食が人気を集めていて、色々なところに日本レストランや、お寿司屋さんがオープンしています。ほとんどのオーナーが韓国人や中国人が経営しています。ですのでこれらの店から寿司をオーダーすると、何か得体のしれないものが時々入っています。まあそれでも寿司に近いものが食べられれば、私はそれでいいと思っています。お米にしても、日本から輸入された日本米を買うことができますが、私たちの場合は、いつもアメリカのカリフォルニア米を買って食べています。味も良くて、高くないので、重宝しています。トロントでの食生活に関しては50年前のドイツに比べると雲泥の差があります。50年ぐらい前の私の食生活は自炊とか一人旅をしていた関係であまりいいものは食べていなかったと思うんですが、ひとつ例外がありました。確か1973年から1974年の初めの頃にいたイスラエルのキブツ集団農場では、食べるものに関しては、すごかったと思います。ご存じかもしれませんが、キブツに住むと皆さん集団で生活をするんですが、食事もみな一緒に食べます。大きなホールに何百という椅子と沢山のテーブルがが置かれて食べ物は食べ放題で、朝からすごいごちそうが並びます。キブツでいただいた食事はすごくデラックスだったと思います。ヨーロッパ、中東とかの色々な食材を楽しめました。

【日系のパン屋さんです。菓子パンなども置いてます。
中国人のお客さんの間で人気があるみたいです。】

リタイヤしてから数年たちますが、毎日が休みなので、体のなまりを防ぎまた老化防止のために週に3ー4回近くのYMCA に行って運動をしています。毎回運動をするルーチンが決まっています。1時間ほど歩行機械の上を歩いて、それから筋トレ、ストレッチ、最後に卓球をしています。これらの運動が終わるといつも汗びっしょりで、自分でも満足しています。卓球は中国人の方達5人ほどのグループでいつも一緒にプレーしております。皆さん結構レベルが高くて、いつも声を出したり、ワーワーギャーギャー言いながら、皆さんと楽しくプレーしています。YMCAに来られている人たちのほとんどが中国系の人達です。私が住んでいるエリアの近くにこのYMCAはあるんですが、その近くに住んでいる人達は中国系の人たちが多く、非常に住みやすいと感じております。今ではYMCAに来て運動して汗をかくのが私の日頃の日課になっています。これからも健康に気を付けて、残りの人生を楽しんでいきたいと思っています。

【家の近くのYMCAに行って中国系の人達と卓球を楽しんでいます。
後ろのメインコートでは皆さんタイチー(太極拳)の練習をされています。】


日本の食材が手に入ったり、日本の番組が見れるとはいえ、50年もの長い期間海外で生活できるのは本当に尊敬します。いつもいろいろな海外の情報を伝えてくださってありがとうございます。まるで自分も現地に行ったかのような感じで読ませていただいてます!

石黒さんの過去の記事は、以下からもご覧いただけます。

第1回「大谷翔平選手、トロントで勝利投手に」

第2回「カナダで1番大きな都市・トロント」

第3回「トロントのクリスマスと新年」

第4回「日本人と英語」

第5回「私の英語とドイツ語」

第6回「英語を喋る上で気を付けて頂きたいこと」

第7回「トロントの学校制度」

第8回「カナダの大企業での仕事環境」

第9回「将来海外で活躍するには、大学での学部は英文系、それとも理系?」

第10回「ボランティアー警察官」

One thought on “7期生・石黒さんより(11)

  1. 石黒文雄 より:

    来月の初めに娘家族と一緒に、カナダ西部にあるロッキー山脈の中の観光地バンフとかに行く予定をしています。その時の記事と写真を用意させてもらう予定をしています。昔一回行ったことがあるんですが、カナディアンロッキーは素晴らしい所です。面白い記事を提供できればと思っております。

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