玉井済夫先生からのお便り

旧教職員の玉井済夫先生よりお手紙が寄せられました。

玉井先生は昭和39年4月から本校にて生物を教えていらっしゃいました。今回のお手紙では当時担任された生徒やお住まいの田辺市で活動されていらっしゃるナショナル・トラスト活動のこと等の近況をお知らせくださいました。

このお手紙は本来ならば先日(2022年3月)発行した会報誌に掲載予定でしたが、コロナ禍で事務局が機能せず、掲載することができませんでした。

玉井先生や関係者の皆様方、大変遅くなったことをお詫びいたします。以下にお手紙を掲載させていただきます。


【以下、玉井先生より】

3月になりましたが、まだ寒い日もあります。それに、コロナウイルスがなかなか収まらない状況で生活やお仕事、学校のほうも何かと大変に苦心されていることと存じます。

過日は同窓会報をお送りいただきお礼申し上げます。初めてお手紙を差し上げますが、私は和歌山県田辺市に住む玉井済夫(たまいすみお)といいます。元、阪南高校で教員(生物)をした者です。

私は大学を出た後、阪南高校で初めて教職に就き、昭和39年4月~昭和44年3月末までの5年間いました。当時は吉原校長で新設間もない時期でした。

私が赴任した時は5期生が2年生で、田中星児氏(後のNHKの歌のおにいさん)や後に貴校で教員(生物)をした田代貢氏もいました。彼は生物部でした。

私は昭和40年に入学した7期生の担任をして3年まで持ち上がりました。

そしてもう1年いて昭和44年3月末に退職し和歌山県教育委員会に移りました。その後、県立高校(2校)で教員を続け、平成10年3月に退職しました。

 学校のプールができたのが昭和40年でその年から水泳の授業が始まりました。校内水泳大会があり、また水泳部もできて私は最初の顧問になりました。数年前に水泳部のOB会ができたとき、私も招かれて出席し懐かしい方々にお会いしました。

 当時の先生方には亡くなられた方もおられますが、先年開催された60周年記念行事のDVDを送っていただき大変懐かしく拝見しました。

 当時多くの先生方にお世話になりました。稲田教頭先生はじめ、湯口先生、今井先生、島田先生、藤本先生、入江先生、永田先生、清水先生、松崎先生、石井先生、藤井先生、三木先生、岩橋先生、植栗先生、深瀬先生・・・、多くのお名前が浮かんできます。先生方の中には今でもお手紙のやり取りがあって交流をしている方々もいます。

 水泳部では、当時インターハイにでた生徒(西尾徹二氏)もいて、私は青森県まで引率しました。西尾氏は水泳部OB会の発足時に出席され会長になられたのにその後亡くなられて誠に残念な思いです。

生物部では夏休みの行事として開田高原(長野県)と千里の浜(和歌山県)に交互に行っていました。今でも思い出す楽しい行事でした。

10年ほど前には、地下鉄我孫子駅から学校への道筋はかつては水田がありましたが、今ではすっかり変わっています。

ところで、このお手紙を差し上げたのは私は今でも阪南高校の方々と交流しているので、そのことをお知らせしたかったのです。

私は、7期生が入学した時の1年3組を担任しました。その時の生徒の皆さんと長い間(17年間)クラス会(旅行)を続けてきました。そのことについては同封しました随筆集「土」(田辺で発行している。)に「教え子たちと」というテーマで昨年11月に投稿しました。この中に幹事はK君としていますが、それは木村忠司君のことです。同封の写真の中に木村氏がいます。

私の住む和歌山県田辺市に天神崎(田辺湾の一角)という自然豊かなところがあります。昭和49年以来、この自然を皆さんの募金で買い取る運動(ナショナル・トラスト)を続けています。この保全運動に阪南高校の先生方や卒業生の多くの方々が会員になってくれたり寄付をいただいたり協力してくれて大変ありがたく、感謝しています。

私は一時、アドベンチャーワールドに勤めていましたがそこにも阪南高校の出身者がいたり、大阪から田辺市に移住した方(5期生)、田辺市のホテルに勤務された方(5期生)等、いろんな方々とご縁があります。書けば長くなりますので、この辺りで失礼します。

まだ寒い日もあり、コロナのこともあってどうかおからだには十分ご留意されてお過ごしください。

               令和3年3月4日  玉井済夫

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